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問いかけに滲む上下性

私は、問いかけの形をしていながら、さりげなく「上下関係」が染み出している言葉に強い違和感を抱くことがあります。

 

上下性が滲み出る問いかけ

「これって、どうしてこうなっていると思う?ちょっと考えてみて」
こんなことを言われて、実際に5分くらい時間をもらって考えたことがあります。

また別の時には、
「それって、どうしてそう思うのかな?」
「どうしてこの仕様になっているか、考えたことある?」
のように聞かれたこともあります。

これは私の主観ですが、なんというか、この「教えるためにやってますよ」感が、どうも私は苦手です。
いや、実際そうなんだとは思うのですが。
それにしても、わざとらしいというか、居心地の悪さのようなものを感じます。
試されている、みたいな感じがしてしまいます。

上下性は本当に必要なのか

こういう話をすると「実際そうじゃないか」「実際にこちらが教える立場だから」「気づいてないから、気づかせてあげている」みたいに思われる方もいるかもしれません。
でも、私はここにこそ、大きな違和感があります。

そもそも上なのか?

私は、本当に上下関係というものがあるべきなのか怪しいと思っています。
これはどういうことかというと、上の人は常に答えを知っていて、下の人は常に教わらなくては答えに辿り着けないということになります。
これって本当にそうなのでしょうか?
仮にそうだとしても、それは「経験から知っている」ことであったり「たまたま知識としてあったから知っている」ことであったり、立場の上下とは別に関係ないところが理由だったりします。
むしろ、最近の新卒の方や若手であれば、AIネイティブ世代でもあり自分たちより詳しいということは全然あり得ることだと思います。

上下という関係をやめよう

何が言いたいのかというと、要するに上下という感覚をやめた方がいいと私は思っています。
上下というのは直接「あなたが下です」と言わなくても、勝手に言動に滲みます。
「どうしてこの仕様になっているか考えたことある?」
→これは、「仕様の検討においては必ずその存在理由を掘り下げて考えるべきだ」という主張を問いかけの形を通して言い換えているだけですよね。
つまり、問いかけと言いつつ、一方的に教えているだけなのです。

「私もわからない」というスタンスの強さ

じゃあどうするのか?というと、「私もわかるわけではない」というスタンスに立つことが非常に重要だと思います。
ある私の尊敬する上長は、「私も全部はわからないけれど……」とよく言います。でもこれは普通のことです。全てを理解するスーパーマンしかマネージャをできないわけではないです。
むしろ、わからないという同じ立場に立ってくれるからこそ、自分でどう考えたらいいか、と問いを立てる練習になります。
もちろんその中で「締めるところは締める」「頼れる上長ではあり続ける」ことは大事です。

それでも、むやみに部下を「私が教えてあげないといけない存在」におとすのではなく、「ともに考える仲間」と捉えた方が、結果的に自主性も育まれ、自律した組織に育っていくのではないでしょうか。